「来世でいいや」と考える
最近よく頭の中に浮かぶ言葉がある。
「来世でいいや」
「来世にまかせよ」
特別何かを信仰してるわけじゃないけど、生まれ変わりとか、人間の生きる意味とかを考えることはある。
最近は「生きる意味ある派だったけど、もしかしたらそういうものは無いのかもしれない。目的とかも」って思うようになってきたな〜。
なんかその方が楽っていうか。
だってこんな体調じゃ、自分が思う「生きる意味や目的」を感じることのできる行動が全然出来なくってさ。
話は前に戻って、「来世でいいや」についてなんですが、元気というかそれなりに健康であれば、やってみたいなーと思うことが色々あるわけです。
10年目ぐらいまでは「元気になったら〜やるんだ…!」っていう風に思うことも多かったし、それがある意味希望でした。希望でもあり一種の執着みたいなもんかな?
でも時間がいくら経てどもその時は訪れない。そうなるとその希望が、何だか辛いものに思えてきて…
だから「来世でできたらいいな!」みたいに流すと、なんか楽になるんですよね。
希望を持ち続ける。
大事なことだと思います。でもそればっかだとしんどくなってくる。
「やりたいことやったらいいやん!少しでも楽しいと感じることはやるべきだよ!」と言う人がポツポツいます。
言ってることはわかります。
でも例えば38℃の熱があるぐらい体がしんどくて、さらに仲の良い友人が死んだ後のような精神状態で、楽しめますか?生きがい感じれますか?
あんまり言うと「うつ病患者ってめんどくせーな」って思われそうなので、これくらいにしときます(笑)
まぁ実際面倒くさいと思いますよ(笑)苦しさを前面に押し出してくるうつ病患者は。
でもグッとこらえて、一見普通っぽくコミュニケーションしてるうつ病患者さんが多いんじゃないかな。
疲れ気味で具合も良くないとこういうことばっか考えちゃうな〜
いつまで続くんだが